気胸の歩み

2001年2月頃 仕事中に突然右の肩から背中にかけて激痛が走る。しかし、「あれ!?昨日なんか重いものでも持ったかな」と筋でも痛めたかと思う程度で気にもしなかったが、今思うとこの時右肺に穴が開いたのであろう(恐らく肺は1割程度のしぼみだったと思われる為、息苦しいとかは特に無かった)。
2001年8月頃 自分はちょっと背骨が曲がっているので、矯正のためこの頃体操を毎日行っていたが、体を伸ばすと胸のあたりで「ブクブクブク・・・」という変な音がしていた。しかしこの時もきっとお腹がなっているのだろうとしか思わなかった。
2001/12/21(金) 2週間くらい前から引いた風邪が中々治らず、体調不良の日々が続いていたが、熱は無かったので会社の忘年会に参加(欠席しても金は戻ってこないので・・・)。体は辛かったが流れから何となく2次会まで行ってしまった。その時冗談で「明日から入院するから」なんて言っていた頃は自分でも本当にただの風邪だと思っていた。帰り道はかなり息が苦しく、肩で息をしていた。
2001/12/22(土) 前日の辛さはかなり和らぎ病院に行くのも億劫になったが、ここで行かないとしばらく医者には行けないので、風邪薬でも出してもらおうと隣の病院へ外来診察受付時間ぎりぎりに行った(この日は土曜日で外来は午前中だけだった)。内科の先生に「風邪で咳が止まらないんでちょっと診てらえます」てな感じで診てもらい、その場は心配いらないでしょみたいな感じの雰囲気であったが、最後に「レントゲン撮っときます?」って聞いてきたので、まあ肺炎にでもなってたから嫌だと思って一応撮ってみたら、「ああー、気胸ですね」と言われた。気胸という病気が何だかはちょっとだけ知っていたが、「もしかして入院ですか?」と聞いた所「即入院&手術です。」「マジですか!?」頭の中が真っ白に・・・。玄関まで僅か100メートルもない我が家に帰ることも許されずそのまま入院の手続きをされてベッドへ(このわずか2〜3分の間に嫁さんに電話を入れたが、ここでしなかったらこの事態を知るのに半日はかかったであろう)。そして手術はベッドの上で行われた(手術室じゃないんだ・・・)。手術自体は30分で終わったが胸の右に伸びる管(ドレーン)を見てがっくり。その日は痛くて体をおこすことも出来なかった。
 ところで、気胸になったと思われる時期から入院に至るまで実に10ヶ月経過していたが、この間も心臓の鼓動に合わせてコポコポ体の中で変な音がするとか、妙に息が切れるなどの症状はあった。気胸になっても安静にしていれば、軽いものならば治ってしまう為、きっと空気が抜けては治るを繰り返していたのであろう。そして久々にひいた風邪により症状が一気に悪化したものと思われる(自分の予想)。
2001/12/25(火) 週があけて火曜日(前日は天皇誕生日)に嫁さんが会社に電話し、長期休みを申し入れる。
2001/12/27(木) 職場のメンバーが数名見舞いに着てくれ、差し入れまで貰い恐縮。忙しい時期だったのでまさか来るとは思わなかった(感謝)。しかし、「よくこんな時期に医者に行けるなー」とある人物に言われてしまった(仕事は大切だが、自分にとっては家族や健康の方がもっと大切だ。イヤミを言われて内心ムカッとしたが、世の中良い人ばかりじゃない)。
2001/12/28(金) この日は仕事納めということもあってか昨日とは違う仕事仲間が着てくれた。ゲームボーイ、健康第一のお守り、必勝のはちまきを貰いました(お守りは神棚にちゃんと飾ってありますよ)。前日もそうだったが、誰もこないと思っていたのに心配してきてくれて嬉しかった。みんなありがとう!仲間っていいなーと思う。
2001/12/29(土) 肺も充分広がったので管(ドレーン)を抜いた、先生の口からも「退院OKです」。しかし、抜いた直後あたりからなーんか体の中でやな感覚・・・。先生は大丈夫といっていたが、念のためレントゲンを撮ってもらう事にした。
この後会社の後輩が見舞いにきてくれた。彼とは「もう今日退院するんだ」「良かったですね」とか話しをした。
後輩が帰った後、先生がレントゲンを手に「桑原さん、また肺がちょっとしぼんじゃってます」、やっぱり。先生もがっかりしていたが自分はもっとショックです。退院の準備とか全部出来ていたが、とりあえずもう1日様子を見る事になった。
2001/12/30(日) レントゲンの結果は昨日と変わらず(肺は2割ほどしぼんでいた)だったが、あとは安静にしていればよいという事なので、退院。8泊9日の入院生活終了。
2002/1/7(月) 傷口の抜糸の為再度隣の病院へ。レントゲンを撮った結果肺は完全に膨らんでいた。しかし、無理は禁物と先生から言われたので、この後更に2日ほど家で療養した。
2002/2/1(金) この日は会社の健康診断。2、3日前から肺の不調を感じていたが、レントゲンを撮ったらやはり右肺が1割ほどしぼんでいた。看護婦さんが慌てて自分に教えてくれたが、この頃は結構自分なりに気胸については詳しかったので、落ち着いていた。この事実を会社に連絡し、翌日の月例会を欠席して医者に行く事を伝えた(私の会社は毎月第1土曜日出社なんです)。
2002/2/2(土) 隣の病院で再度診察を受けた結果、治りかけの途中でこのまま放っておいても全く問題ないということだった。会社を休まずに済みそうなので、自分も会社の人もホット一息。
2002/2/22(金) 会社に復帰して1ヶ月半、時々肺から空気が漏れる感覚などもあったが、何とか騙し騙し仕事を続けていた。このまま行っても半年も我慢すれば全快すると思っていた矢先、トイレの後手を洗っていた時にそれは起こった。前かがみになった時に背中の方で空気が一気に出て行く感覚を覚えた。「これは結構抜けたな〜」と思った(汗)。帰り道会社から駅まで行く途中背中に激痛が走り、歩くのもやっと。信号が変わる前に道を渡るのが辛かった。「クッソー何でだー!今週仕事忙しかったからかな・・・」
2002/2/23(土) 隣の病院でレントゲンを撮ってもらった所、肺が3割程しぼんでいた。ここまでしぼむともう管(ドレーン)を入れないといけないらしい。しかも、管(ドレーン)を入れるのも2回目となるともう肺を広げるだけでは駄目で、本格的な手術をしなければならないとの事。ただ、昔と違って気胸の手術は胸空鏡という内視鏡を使っての手術が最近の主流らしい。しかし、隣の病院では昔ながらの開胸手術しか出来ないという事なので都立墨東病院というどでかい病院を紹介された。紹介状を書いてもらい、入院の準備をして向かったが、ベッドに開きが無いとか何とか色々言われ更に日産厚生会玉川病院というところを紹介された。何でも玉川病院は日本で唯一気胸専門の科があるその道の名門で、胸空鏡手術はここで開発されたらしい。とりあえず墨東病院では紹介状は書いてもらったが結局この日は検査だけして(6000円も掛かった)家に帰り、月曜日に自分で玉川病院へ電話する事になった(安静にしているという約束でドレーンは何とか勘弁してもらった)。
2002/2/25(月) 玉川病院へ電話したところ、今日は外来は休みということで火曜日に行く事になった(オイオイ患者放っておいていいんか)。何となく理不尽を感じつつも家で安静にする事にした。
2002/2/26(火) 入院の準備をして玉川病院へ。運良くベッドに空きもあって入院。またもやベッドの上で管(ドレーン)を入れる手術を受ける。ただ、手術はかなりなれているらしく5分で終わってしまった。前やった時は物凄く慎重に30分も掛けてやっていたが、実際この位の手術は大した事はないらしい(痛みは辛いけど)。
しかも、前の病院では術後起き上がるのに2日も要しているのにここでは直ぐに抱き起こされ、専用の機械を持って歩けば自由に歩き回っても良いとの事だった。前回の手術の時はトイレに行くのも駄目で小便はシビン、大便は簡易トイレだったことを考えればそれだけでも幸せだった。
結局胸空鏡手術は順番待ちで、最短でも3/27まで待たないと出来ないらしく、今回は肺を膨らませて3/25に再度入院する事になった。
2002/2/27(水) ドレーンを入れて1日目にして早くも空気漏れが止まる。
2002/2/28(木) 空気漏れがない事からハサミの様な器具で管をとめ、機械が外される。
2002/3/1(金) レントゲンの結果肺がしぼんでいない事が確認されたので、ドレーンを抜く(麻酔なしだけどあっという間に終わったので痛くは無かった。しかし、傷口をホッチキスで止めるとは・・・最新医療は怖い)
2002/3/2(土) 最後にレントゲンを確認して問題ないことから退院。今回は僅か4泊5日の入院生活で済んだ。
2002/3/11(月) 2度目の会社復帰。
2002/3/13(水) 会社が終わった後歯医者へ行き、夕飯の買出しをして帰宅後座椅子に腰掛けたら右肩から背中に掛けて激痛が走る。痛みは1時間程で治まったが、胸の苦しみがあったので肺がしぼんだのは分かったが、問題は何割しぼんだかである。2割くらいまでなら放っておいても何とかなる、自分の勘では1割か2割だと思ったので翌日朝の様子次第で会社に行く事を決意(っていうかまだ復帰して3日しか会社行ってないし・・・)
2002/3/14(木) 一晩寝て何となく胸の苦しみも和らいだ様な気がしたので、気合で出社。しかし、出社後は肩で息をしなければならないくらい辛く、いるので精一杯だった。
2002/3/15(金) この体で玉川病院まで行くのは辛かったので、とりあえず隣の病院でレントゲンを撮ってもらった所、肺が完全にしぼんでいる事が判明。そのまま玉川病院にアポをとってもらい、入院する事に。本当は救急車で運んで欲しいくらい辛かったが、電車で玉川病院へ行く事になった(そういうもんなの?)。玉川病院についた後は前回に引き続き担当医となった伊藤先生にドレーン挿入の手術をされた。もうこれを入れるのは3回目だが、何回やっても気が遠くなります・・・。結局3/25に入院するはずだったのが10日も早まったので、胸空鏡の手術も日程を早めてくれないか聞いてみたが病院側の都合であっさりキャンセル。何も出来ないまま10日以上このまま手術を待つ羽目になった。しかし、同じ病室で阿部さんという同じような境遇の人に出会い、色々と情報を交換する事が出来た。何と病気の経過も同じようなら年齢や職業、家族構成他多数の共通点があり本当にビックリ。
2002/3/26(火) いよいよ手術前日、夜9時から絶食だが夕飯までは食べているのでお腹はすいていない。ちゃんと寝られるようにと睡眠誘発剤みたいなものを服用したが、一緒に飲んだ下剤の方が効きがよくお腹の調子が悪くてよく寝付けなかった。
2002/3/27(水) 手術当日は朝7時から浣腸です。20年振りに浣腸をやったが、こんなにつらいものだったか・・・。8時45分になっていよいよ移動用のベッドの上へ、そこで鼻の穴から胃に管を通すのだが自力で飲み込むのでかなり辛い。手術よりこれが嫌だという人は結構多い。
 手術室に運ばれ点滴から麻酔が入るが、10秒も持たずに寝てしまった。気が付いた時はリカバリールーム(ナースステーションの隣にある特別室)で寒さで震えていた。
2002/3/28(木) 術後1日目だが自力で歩いてリカバリールームから自分の病室へ戻る。普通は車椅子かベッドに寝たまま移動するように思うが、内科と違って外科は結構なんでも自分でやりなさいという感じで冷たいというかシビアです。でもその方が治りは速いんだけど。
 執刀を担当した先生から肺の写真を見ながら手術内容を聞かされたが、肺がタバコ1箱を毎日10年間吸った位汚いと言われて愕然とした。自分はタバコなんて吸わないのに何故・・・。きっと職場とかかなりタバコ臭いからその影響なんだろうけど、本当いい迷惑だ。気胸になる原因としてタバコはかなり悪いらしいから、ある意味被害者かもね。
2002/3/29(金) 術後2日目だが痛くて声も出ず。長い間一緒だった阿部さんも退院し、気胸では病室の主になる。
2002/3/30(土) 術後3日目だが未だ痛くて何も出来ず。しかし術後の経過はかなり順調らしく、ドレーンをハサミの様な機械で留め(クランプ)、様子を見る事に。
2002/4/1(日) 術後の経過は順調でドレーンが外される。例によって傷口はホッチキスでとめた。イッテー
2002/4/2(月) レントゲンを撮った結果肺が充分広がっている事が判明し、退院が決定。いきなり退院と言われても帰りの準備が出来ていない。しかし、長い入院生活で体が衰弱しきっていたので逃げるように退院。17泊18日の病院生活終了。
 久々の我が家であったが、筋力が衰え座っているのも辛い。明日からはリハビリだ。